関西、龍野地方でなぜ醤油作りが栄えたのか?

 関西、龍野地方は、醤油の世界三大産地の一つになっています。栄えた一番の理由は、揖保川の水にありました。色の薄いおいしいうすくち醤油を作るには、きわめて鉄分が少ない揖保川の水がぴったりだったのです。また、それ以外の材料である大豆・小麦・塩の三つの原料が手に入れやすかったということがあります。つまり、これらの質のよい原料の産地がすぐ近くにそろっていたのです。小麦は近くの播州小麦、すぐ北の新宮町・山崎町の大豆、赤穂の塩、そして、揖保川の水です。揖保川のほとりで、醤油作りが盛んになったのは、今から四百年ほど前のことだと言われています。揖保川町・龍野市付近には、鉄分の少ない揖保川の水と質のよい原料の産地がそろっていたのが醤油作りが盛んになった理由です。それに、原料を運ぶ時や出来上がった醤油を運ぶ時に、高額舟を利用して揖保川を行き来したのです。醤油作りの工湯が、川のすぐ近くにあるのは大量の醤油を出荷するのに都合がよかったからです。
龍野地方のうすくち醤油の最大の隠し味に甘酒を加えます。うすくち醤油の透明感と味の良さの微妙な関係です。揖保川のほとりで、醤油作りを始めた理由は、原料が手に入れやすかったこと、輸送に便利だったこと、そして何と言っても、揖保川の水が醤油作りに合っていたということです。貌在でも、鉄分の少ない揖保川の水は、うすくち醤油になくてはならないものです。今では、うすくち醤油は、関西地方を中心に、首都圏は、もちろん。北海道から沖縄まで、全国に出荷されています。



うすくち醤油の作り方

まず、炒った小麦をうすでひいて粉にします。それに蒸してやわらかくした大豆を混ぜて、種こうじを加え、浅い木箱に入れます。そして、こうじ室(むろ)という部屋で、こうじカビを育て、醤油こうじを作ります。その醤油こうじを、揖保川の水で溶いておいた塩水の入った大きな樽(たる)に入れて一年以上ねかせます。時々、4m近い長い棒のついたしやくでかきまぜて発酵しやすいようにします。この樽の中にある時のものを、「もろみ」と言います。十分に発酵したもろみを布袋につめて、米から作った甘酒を加えてしぼります。最後にかすが沈むのを待って、うわずみをすくったものがうすくち醤油となります。こうしてできた醤油は、ビン詰めされ流通に流れます。

昔の輸送には、高瀬舟を使って揖保川を下り、網干の海まで出て、そこから海路大阪まで運ばれ、淀川を上って大阪まで送られていました。